JAMIESONS OF SHETLAND
現在にいたるまで5世代に渡って受け継がれてきた純粋なシェットランド・シープ。
ジェーミソン・ファミリーは、シェットランド島だけで産出される貴重な羊毛を保存するため受け継いできました。それはいつしか生涯をかけた壮大な目標になりました。
ビジネスの創業は1890年代のはじめにさかのぼります。当時、シェットランド島の西に位置するサンドネスという村で、ロバート・ジェーミソンによってショップが開業されました。地元の農家から手作りのニットウエアを買い付け、販売したり他の品物と交換していましたが、その後、シェットランド産のニットウェアが島の外でもファッションとして需要が高まり、広く一般に販売されるようになりました。
20世紀に入り次の世代ではビジネスをより発展させるために、職人のスキルアップと数々のアイデアをもたらしました。
ロバートの息子、アンドリュー・ジェーミソンは島で最初の羊毛取引業者のひとりで、羊を飼育する農家から原毛を買い上げたのち、糸に加工するために英国本土スコットランドにある紡績工場に送っていました。
当時シェットランド・ウールは非常に繊細であるため、一般的には機械での加工は不可能とされていました。そこで、工場では他品種の羊からとれた硬くて粗いウールを60%ブレンドしていました。
このブレンドされたウールの品質は、ジェーミソン・ファミリーにとって満足できるものではありませんでした。羊の飼育から糸の加工、ニットウエアの製造まで、あくまで純粋な100%シェットランド製にこだわり、その後、島内での生産方法を模索するようになりました。
次の世代、バーティ・ジェーミソン(アンドリューの息子)は、1952年にシェットランド島の中心地であるラウィックに小売販売店を開業し、さらに事業を拡大しました。
これが「ジェーミソン・ニットウエア」ブランドの始まりです。
オリジナルのセーターは地元で作られた糸を使ってハンドメイドで生産されていました。
その後、バーティとその息子のピーター・ジェーミソン(現在の社長)にとって生涯の夢である100%純粋なシェットランド・ウールの生産方法が確立されて、1978年には長年の努力の甲斐があって一貫生産することに成功しました。
ジェーミソン・ファミリー全員にとってもとても嬉しいことでした。
1981年には、シェットランド島唯一のウール製造工場「ジェーミソン・スピニング」の操業を開始。サンドネスに建てられた最新のミル(工場)は、ひとつの建物内で、原毛の洗浄、染色、配合から、毛羽処理、撚糸など一貫してすべての製造工程を行うことができます。
この成功の後、北海油田の開発開始にともなう地元の産業構造の変化により、島内でハンドニット生産に従事していた人々の多くが転職し、生産量も激減しました。
しかしながら、シェットランド・ニット製品に対する需要は確実に増え続けていました。
この急激な状況に対応するためにジェーミソン・ファミリーはコンピューター制御によるニット生産設備を導入しました。
この最新テクノロジーによるニッティングと、自社工場で100%シェットランドウール糸の生産を同時に行うことで、非常に複雑なフェアアイル柄を再現するができるようになりました。またトラディショナルな色だけでなく、現代的な明るいカラーも多く採用されていきました。
これらのカラフルな糸を使ったツイード織物の可能性を見出した「ジェーミソン・スピニング」は新たに織機を導入し、大変多くの種類のツイード生地とブランケットを生産しています。現在ビジネスは5世代目のピーターと息子のゲリーに受け継がれ、世界でただ1社、ジェーミソンだけが唯一供給することのできるシェットランド・ウール製品の価値をさらに広めるべく日々研究開発を続けています。
ジェーミソン・ファミリーは、シェットランド島だけで産出される貴重な羊毛を保存するため受け継いできました。それはいつしか生涯をかけた壮大な目標になりました。
ビジネスの創業は1890年代のはじめにさかのぼります。当時、シェットランド島の西に位置するサンドネスという村で、ロバート・ジェーミソンによってショップが開業されました。地元の農家から手作りのニットウエアを買い付け、販売したり他の品物と交換していましたが、その後、シェットランド産のニットウェアが島の外でもファッションとして需要が高まり、広く一般に販売されるようになりました。
20世紀に入り次の世代ではビジネスをより発展させるために、職人のスキルアップと数々のアイデアをもたらしました。
ロバートの息子、アンドリュー・ジェーミソンは島で最初の羊毛取引業者のひとりで、羊を飼育する農家から原毛を買い上げたのち、糸に加工するために英国本土スコットランドにある紡績工場に送っていました。
当時シェットランド・ウールは非常に繊細であるため、一般的には機械での加工は不可能とされていました。そこで、工場では他品種の羊からとれた硬くて粗いウールを60%ブレンドしていました。
このブレンドされたウールの品質は、ジェーミソン・ファミリーにとって満足できるものではありませんでした。羊の飼育から糸の加工、ニットウエアの製造まで、あくまで純粋な100%シェットランド製にこだわり、その後、島内での生産方法を模索するようになりました。
次の世代、バーティ・ジェーミソン(アンドリューの息子)は、1952年にシェットランド島の中心地であるラウィックに小売販売店を開業し、さらに事業を拡大しました。
これが「ジェーミソン・ニットウエア」ブランドの始まりです。
オリジナルのセーターは地元で作られた糸を使ってハンドメイドで生産されていました。
その後、バーティとその息子のピーター・ジェーミソン(現在の社長)にとって生涯の夢である100%純粋なシェットランド・ウールの生産方法が確立されて、1978年には長年の努力の甲斐があって一貫生産することに成功しました。
ジェーミソン・ファミリー全員にとってもとても嬉しいことでした。
1981年には、シェットランド島唯一のウール製造工場「ジェーミソン・スピニング」の操業を開始。サンドネスに建てられた最新のミル(工場)は、ひとつの建物内で、原毛の洗浄、染色、配合から、毛羽処理、撚糸など一貫してすべての製造工程を行うことができます。
この成功の後、北海油田の開発開始にともなう地元の産業構造の変化により、島内でハンドニット生産に従事していた人々の多くが転職し、生産量も激減しました。
しかしながら、シェットランド・ニット製品に対する需要は確実に増え続けていました。
この急激な状況に対応するためにジェーミソン・ファミリーはコンピューター制御によるニット生産設備を導入しました。
この最新テクノロジーによるニッティングと、自社工場で100%シェットランドウール糸の生産を同時に行うことで、非常に複雑なフェアアイル柄を再現するができるようになりました。またトラディショナルな色だけでなく、現代的な明るいカラーも多く採用されていきました。
これらのカラフルな糸を使ったツイード織物の可能性を見出した「ジェーミソン・スピニング」は新たに織機を導入し、大変多くの種類のツイード生地とブランケットを生産しています。現在ビジネスは5世代目のピーターと息子のゲリーに受け継がれ、世界でただ1社、ジェーミソンだけが唯一供給することのできるシェットランド・ウール製品の価値をさらに広めるべく日々研究開発を続けています。
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